パーソナルスペースと道具の間

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ユーザーインターフェイスというとちょっと分かりにくいんだけど、例えばパソコンのwindowsの画面やiphoneの画面(マルチタッチデバイス)などに対して使われる言葉でうまく日本語化でいていない外来語だ。前にもちょっと触れているんだけど、広義で人間は道具を使用することによって体の機能を外部化している。使う人が道具とコミュニケーションが取れる状態と考えれば言葉の輪郭を捉えやすい。例えば包丁で食物を切れば歯を外部化しているとも言えるし、ハンマーで石を割れば拳を外部化しているとも言える。これが道具と人間が一体になっている状態で、道具とコミュニケーションがとれている状態を実現している。この状態が発生しなければ僕たちの車の左ドアはいつもボコボコだろう。これは脳みそがよくできてるおかげで、持っている道具の先端まで身体のスペースを拡張できる、空間認識できる機能があればこそできる特有の機能というわけだ。こういうのはパーソナルスペースという機能なんだ。虎の牙と熊の爪をもっていない僕たちは外部化/身体スペースの拡張という機能を使って生きていると考えているんだ。

 
道具や身の回りの物は身体と一体化すると本来の目的の機能を果たし、道具のパフォーマンスが高ければ身体機能以上の能力を実現できる。全部木で出来た鍬よりも鉄で出来たのほうが良い。こん棒よりもハガネの剣のほうが良い。こんな具合に素材が進歩すれば使用する人間は昔よりも進化することができる。この中でもより親和性が高い道具は数100年単位で使用されていてそれぞれの用途や地域によって形も変わっている。歴史の長い道具はインターフェイスとしても優れているという証明になるんだろう。何故に人が道具や持ち物に惹かれ続けているのかというのは欠損した身体の一部を探すように、道具と身体が組み合わさる事で人間の個性を作り上げているところがあるんじゃないかなと考えている。ものが好きで、こだわりの逸品。これは根本的なアイデンティティに繋がっている問題だ。

 
ここでポイントになってくる事があって、道具と習熟の関係性がある。どんなカッコいい道具を使おうとも見た目だけでは機能不全であって、本来の通り道具によって身体機能を拡張することが本来の人間のカッコいい所だ。「良い斧で薪を一刀両断」する能力こそが本来求められる所なのである。身体の一部に拡張されている道具(手で持つとか)の道具は習熟が必要なものが多くて、例えば鉛筆でも、強く押しすぎると折れるし、ちょっとづつ回しながら書かないと線が太くなる。なんとなく使っている物でもコントロールは常に学習されて蓄積される。普段使いしている何かを別のものに変えると違和感があるのはこれが理由だ。道具の形は変わらずとも身体と道具の位置関係、スポーツでいえば直線的な肉体の使い方よりも体躯の捻じれや回転運動などで能力を増加できる技術。遠くに投げるのも早く走るのも円運動の習熟によって結果が変わるしね。テクノロジーが進化するとこの辺のテクニックと道具のバランスが変わってくるから便利な社会は「道具はどうなんだ?対して自分はどうなんだ?」ということは注意深く意識しなきゃ悪いんじゃないかと考えている。常に備えよというわけだ。

 
最近では工業化や機械化によって身体機能をあまり使わずに結果を実現できるようになってきているから、失敗するってのが少なくなってきてる。例えば自動レジが普及してきたら、すさまじいレジ捌きをするおばちゃんの能力は失われる。最近耳にする自動運転、AIとかが不穏に聞こえるのも外部化ではなくて自動化であることから身体を伴わない能力拡張となって不安に聞こえるんじゃないかと思っている。加えて現在では身体と外部化のバランスが悪く、道具をうまく使えるように練習するという機会が少なくなってきたという問題があるかもしれない。電動ノコがあるからとかではなく、もう切ってる材料があるとか、もうできてるのが安くあるとか。棚は作るなら買ったほうがコストパフォーマンスが良いとか。真っすぐノコギリで切れない場合は練習しなくても結果が得られるのである。忙しい現代社会という背景もあるけど、身体を知る事にたいしては機会損失なんじゃないかな。

 
そこで一つ思いついたアイデアが「敢えて、ちょっと不便」な道具。取り扱いに癖がある事とかちょっとした習熟が必要な物。慣れが必要な道具を使ってみる事で身体や脳にどんな事が起こるのか。使い始めたころとしばらくたった時にどんな事が起こるのか。を自分でも観察するという事。小刀で木を削る事とか、自分で作った不細工なスプーンで食事をしてみるとか。敢えて棚造りに失敗するとか。その行為の中でダメだから別のことを試すとか、失敗したからプランを変えるとか小さい結果でもたどり着くまでどんどん試してみるんだ。人間のイマジネーションは最強の牙のはずだからね。井戸の中のカエルが海をみて「デカい井戸がある」とかそんな事になっては危ない。考えてもみれば人類は想像と予測の世界であれば銀河の向こうにまで想像を膨らませてる生き物なんだから。そんなにぶっ飛んでる生き物は人間くらいでしょ?なのでもっと真面目にフザけて、思いっきり失敗する。こんな感じで。

 

 

 

 

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