村一番のイノベーションは尖れるのか

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ローカル文化てのはロードサイド文化(ファスト風土)によって駆逐されそうで死語になりそうな言葉なんだけど、こういうのってこれから大切になると思う。現段階で地域おこしなどで公金が大量に注がれているんだけど、そこはかとなく貢いでも 通っても 限界集落 に歯止めは掛からないだろうしここではそんな大局は語らない。物理的な要素ではなく、面白いものがどこから出てくるのかという話。

 

ビジネスやイノベーションは機会の問題で都市圏で発生しやすいんだろうけど、本当に移動が軽やかでオンラインの21世紀なんだったら情報商材を売って六本木ヒルズに住むよりも、天然資源を多く持つ里山とか海岸とかのほうが(木でも食物でも水でも)リソースが豊富だし価値を生みやすいんじゃないかと信じたい。つまり、田んぼだろうが山の中だろうが実行者が表現を加えてメーカーとして自立する社会ということである。ただし僕たちも気を付けている事なんだけど「道の駅/悪気はないが説明にちょうど良い」(ターゲットがシニア向け(開発者がシニア)で新品だけど箪笥の匂いがしそうなプロダクション)で「安く」売ってそうなものを開発してしまうと品質がよくても雰囲気を損なう場合があるので注意したい。逆に言えば大型商業施設のマスプロダクションは「道の駅」のパッケージを雰囲気よくして高く物を売っているとも言える。さすがに最近では道の駅もちょっとその辺調整しだしているところもあるので変わってくるのかもと思う。

 

たとえで「道の駅」を使っていて、悪く言う気もないのだけれども、現状の道の駅のズレ感も評価しておかないと話はどんどんおかしくなっていくから注意したい。おばちゃんが作った漬物にパソコン教室で覚えた自慢のワードアートで「〇〇バァバの漬物」とレインボー文字で書かれたラベルがあったとすれば、これも地域から独自に発生しているズレている箇所で所謂ローカル感そのものであったりもする。こういうドープな所が見てみたいからわざわざ山奥の道の駅を散策するのはとても勉強になる。逆に地域おこしがこの辺の独特な部分を排除して都市圏のオシャレ汎用品みたいなパッケージにしてツマラなくしたりしているケースもある。このあたりの感性をいかに殺さず、フロウ(訛りみたいな)部分をうまく残す事、その独特なリズムをもうちょっと垢抜けて踊れる感じにするというリミックス感がこれからの山師には必要になってくるんだろうなとよく思い知らされている。フロウがあるとコピーが難しいしコモディティ化にも強度があると思う。とにかく人の少ない田舎でどんだけフザけてるんだって事と、都市圏の一般が(カッコいい)とかの押し付けではなくて村で一番キレてる製品が面白いんじゃないかなと考えるんだ。おそらく観客が見てみたいのはキューバのヘビーメタルバンドとか北朝鮮のパンクバンドとかそういう可能性がとてもある。

 

根本的にローカル感(土着)な感じというのは本来伝わってないから面白いわけであって、ブロックバスターな消費にそれ自体が取り上げられると、もうすり減ってしょうがない。そんなローカルな話伝わらないし、製品自体が特異であったとしても、表面的な部分がもてはやされてしまうから下手物というのが悪い意味で伝播してしまう事もあるだろう。ちょっと商売っけを出してしまうと自身の手により粗悪なコピーを作ってしまう危険性だってあるわけだ。こういうのをセルフプロデュースでやろうというのがハナからハードルが高いんじゃないかと思っている。そこで大切になってくる事はその実行した事自体がどれだけフロウしているのかっていう事なのかもしれない。そこから生まれた物を中心にして増幅されていくイメージだろう。その仕組みにはまだたどり着いていないんだけど、マーケットを含めてもっと変わっていくような気がするんだ。おそらくマーケティングとかユーザーのニーズとかこの辺のワードをぶっ飛ばした意味での独立性なのかもと考えているんだ。

 

 

 

 

 

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