21世紀の下手物(ゲテモノ)文化

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下手物(ゲテモノ)と聞いたら悪食とかちょっとワルイ趣味とかを指すような俗語が今や一般的になっているんだけど、高級で美術的な鑑賞に堪えられる物品の反語としての意味もある。民間で雑用に使用される雑器や土着の風土料理など、柳宗悦の民藝運動ではこの日用の雑品に光を当てて「楽しまれる」ものとして存在を広めている。この中には日常や生活に密着した床の間に有難く飾るわけでもなくそこらへんにゴロゴロしている物への愛情が込められている考えかたでもある。

 
これについては見方が様々で「そこいらへんい転がっている壺」や「地域の人が使ってる粗雑だが雰囲気のある器具」を工芸品ビジネスというマーケットに突っ込んだ、千利休の茶の湯とはちょっと違うのだけれども、エスタブリッシュメントのお仕着せみたいな言われもある。しかし価値観の変容について影響を与えているのはすごい事だとおもう。でもこれは西洋的な見方にも思えて100年前のクールジャパンと言ってしまえば、ちょっとニヤついてしまう事案でもある。現代において僕たちも西洋化しちゃって、民芸を見つけては「日本カワイイ!」と言いがちになっているのは認識したほうがいい事案だろう。

 
しかしこの「カワイイ」というのは日本文化の根幹に結構あってこの一語の表現力は他国の表現にしても難しい。ファクターとしては重要。カッコいいのはカッコ悪い所があるとマイナスになるんだが、カワイイはかっこ悪くても不細工でも男でも女でもおっさんでも「カワイイ」のである。むしろ特異であればプラスになってしまう掛け算的な概念である。人間が景色の中で見つけてしまう「木のくぼみが顔に見える」「あの雲がクジラに見える」みたいなモヤっとした中にでも何かを見つけてしまう人類のエッジを行ってしまった盆栽の国は多様なkawaiiを見出してくれる。おそらく当時の民藝もこの辺のアンテナに近い所があるのではないかと考える。僕自身、民藝を博物館などでめぐるとやはりカワイイものが多い。言い出したのは昭和のオッサン集団なのだから現代から見てもこのカミングアウトは素晴らしい。このとらえ方で重要なのは、やはり僕たちは西洋化していて着物を着たらコスプレになるという文化に対して何らかの断層があるために風土の中にいるようでちょっと日本については客観的なんだろうと思う。他人のオヘソがカワイイ!と思うときもあるかもしれないけど、自分のオヘソをカワイイと思わないのと同じ感じなんじゃないだろうか。

 
ハロウィンやってクリスマスやって正月もやる。盆休みはディズニーランドにいって墓参り。文化風習が適当であるが故に子供みたいな所がある。日本人は奥ゆかしいので歯に衣着せる方が多い。大和言葉の国だからとも揶揄されているが本当に妥当だと思う事だ。そんな人々の「実はやってみたい事」には閾値があってそのコップから水があふれだすと実際いろんな事が起こったりする。普段はまともでいたいから「足の裏の匂いが好き」なんてとても言えないけど、こういう趣味嗜好のリンクがひとたびつながると世界を変えるほどになる場合もある。正直毎日全裸が良いとかなんでも、棒倒しゲームじゃないけどなかなか倒れない事ほどある日突然バタンと行ってしまうもんだから怖い。でもそれが未来ってやつだろうし、そんな未来がカワイイかったら最高じゃないか? 価値観って守るだけじゃなくて作るもんなんじゃないかなって最近よく考える。世間を変えるとかたいそうな話がしたいんじゃなくて、発信は多様化して容易な時代だから君がメーカー(実行者)になる事をお勧めしたい。。かつて人間はオオカミから犬を造った、トウモロコシだって造ったんだ。イノヴェーションとカワイイは相性がいいことなのかもしれない。

 

 

 

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