便利な時代の航海術


 

21世紀は便利になっている。大概の容器はレンジに入れても大丈夫だし、うどんは3玉まで無料だ。さらに好きな時間にアイスクリームを食べれる、エブリデイ、エブリタイムです。ノッてきた?さあ財布を開く時間がやってきた。こういう書き方をすると、「人類は飢餓と欠乏を克服した!」と聞こえそうなのだが、単に暮らしがルーズになっただけで心は常に腹ペコだ。ステーキが好きだとうっかり言ってしまった願いが偶然かなって本当に毎日ステーキを食べてみたら地獄だったという状態が近いのかもしれない。そしてドンブリを持つ手が震えだして止まらなくなってくるんだ。紅ショウガをてんこ盛りにのせたら気づいてしまう「ああ、俺食わされてるんだな

 

今のところ何かの機能「ペンやらお茶碗やら」は100円で購入できる。なんでも安いワンコインで事足りる場合も結構ある、世間の良きことのように語られてきた「いい仕事や役に立つ仕事をするのであれば当然それに見合った対価を得る」みたいな事、これは筋違いだった。レンタル70円になっても、替え玉無料になっても。今の時代の消費行動は便利な部分ももちろんあるけど、心の充足はどうだろう?どうやらどこかで何かを間違っているみたいじゃないか?おっさんが5時間かけて表を作ってた作業がパソコンとエクセルで5秒でできる便利で熟成した社会はもっと余暇が洗練されているのかと思ってたがそういう風には見えない。気が付いてみると100均で買ったマグカップを5年も使ってしまい「何故かちょっと残念な気持ちにもなる」今日は物が売れなくなった時代と呼ばれてしばらくたった現代なのである。00年代が描いていた未来とはちょっと違う。「季節に合わせてリゾートを移動して、僕たちはブラックベリー(ちょい古い)を携えて、仕事をしている」こんな感じの話は本当にあった。この未来は不思議じゃなくて、今生活の中に入っているタブレットとかは1970年代にはコンピュータサイエンスの重要人物であるアラン・ケイによって予知されていたんだ。コンピュータってSFみたいなというか2001年宇宙の旅とかSFだし。みんな好き勝手想像した結果が今にいたる雰囲気はある。そうだよ、考えるのは自由だ!要素とかエネルギーを爆発させるのは常に想像力なんだよ。今の世界を檻みたいにしてるやつも想像を爆発させたからこんなになってんだ。

 

そこでちょっと基本的なところを考えてみると、世の中って誰かが作ったものを誰かが必要としてるから成り立っている。これはよくできているシステムだ。様々なニーズで人が集まって生活基盤のリソースを共有することによって暮らしは便利になってる、僕は魚を食べるけど、漁師ではない。お米を食べるけど農家じゃない。このシステムは何年も続いていてとても優秀だと思う。ただ一つ「僕が(作る/行う)何か」を必ず誰かが必要としてくれている場合でないとこの歯車はかみ合わない。そこで思うんだが「いま、この歯車はちゃんとかみ合っているのか?」そんな世の中なのか?と思ってしまう。この歯車はよくできているから壊れにくい。壊れた時は革命とか戦闘とかそんな事態になる。壊れにくい物の特徴として設計がユルいって事もあるんだけど、こういうやつはチューニングが必要になってくる。どうにも暮らしの様子がおかしいだろずっと?チューニングがあってないのにサラリーマンやると過労死になる。ここにも支点・力点・作用点は隠れてると思うんだ。

 

単に消費者の問題としてではなく、作って売っている人間の問題でもあるのだけど、工業化、量産化の果てに大量消費社会を迎えてとにかく「がんがん買え」となったわけだが、そもそもそんなに欲しい物なんて無いわけで家電も白物で売れなくなったら花柄になったり、試行錯誤をするうちに買い物、物の所有に中毒する人々が出てきたりもしたがその辺で何かがズレた。近代になるともっと特徴的で洋服なんかはそうだろう、「個性が生きる時代」と聞く割にはなぜ同じ流行やブランドを身にまとうのであろうか。日本人/民族だから同類項なのか、それならなんで日本人は着物を着るとコスプレしている風に見えてしまうのか。消費で世界が回るのは前提として、気づけばいつから思考無しで財布を開いてしまったのか。歯車のことを意識せずにお金を払わせるマジックを考えた奴らは静かに世界を壊してしまった。テクノロジーは進歩しているんだからもっと「〇〇」な状況にするべきなんだけどこの〇〇はまだ分からない。今のところ思うに楽しんてふざけてみたり、こういうのいいんじゃないのかな?君ならどうするのかな?

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です