山師とマウンティンビー


 

「楽することかんがえにゃあ、仕事は続かんよ」と言うツネさんは今年で80歳を迎えようとしている。健康の秘訣は山に行って木を切り倒すこと。ちょっとしたことでも病院に行くが健康そのもの。最近では尻の肉がなくなってきて椅子に座ると痛いという。座るとチェンソーで切った足が痛いという。もう寝てろと言わんばかりに書いてしまったが彼は現在でも現役で林業家をしている。山に生えてる木を買って伐った丸太を市場に持っていくという仕事もするが、因尾の山に3万本の杉を自力のみで植林を行った男でもある。

 

 
「若いころは三ノ岳を鉄砲もって歩き回ったわ、このあたりの山の中はそこらへんのイノシシより詳しいんや。鉄砲もって山に入る理由はな、シシ肉が欲しいのもあるけど他所の土地の木が見放題やろ」

 
そんなツネさんを始めとしたこのあたりの林業家はこの様子の人物が多く、山の「資産」のことを誰よりも知っている。山林を駆け巡り、どこに何があるのかを把握しているのだ。そのうえで平地の資産家が持つ山林を安く買ったと思えば、杉丸太をトラック何台分も出して大きな売り上げをつくる。これを世間では山師という。平地では分からない情報を山地で仕入れる、平地と山地である情報格差を商売にしている。ドライブでみる自然と生活に向き合う自然ではわけが違う。タヌキの化かし合いのようでもある。ツネさんもよく言うが「ドン(どんくさい)なやつは何やってもドンよ」言い訳も建前もない。結果がすべて、それは倒れる木から逃げそこなれば退場になる業界。「伐木という危険な事をしているリスクを含め」やはり自然相手は厳しい。

 

 

丸太の売買に真っすぐな丸太は高値になるが曲がりが入ると安くなる。植物相手に酷な事を言っている変な商売であるために伐採した木の曲がり具合によっては歩留まりが悪い。山師ってやつはよっぽど良く木を見てる事になる。木を切って売るのに大切な条件はまず木が切りやすい地形であること、搬出が困難でない事。大きなパワーの機械を使えばこの辺の問題も馬力で解決できるのだけれども、機械の数だけ乗務員もいるし機械を使うのであれば伐採の人員も増やさねば意味のないことから小さい事業では人件費と燃料代で道具と金に振り回されるような事も起こりうる。ツネさんはミニユンボと林内運搬車(キャタピラの運搬機)と4tトラック(ユニック)という最小の構成で作業をしている。大規模事業に比べて生産性は低いが、どの条件の木を買うかなどのアタマで利益率は高くなるような仕事をしている。

 

「つねに考えとかんとな。段取りが10よ。頭の中で考えて理屈に合わんことは悪い。とにかく理屈」

 

 

山林の売買から伐木の方向まで、木は間違って反対に倒すと「本来倒したい箇所の数十メートル以上も遠くに木の先っちょが来る」これは搬出時に大きなマイナスになる。チェンソーの刃もそうだ、刃が切れなければ燃料を多く使う、そんなことから関係している全部まで。風が吹けば桶屋がどうのという話のように全てが関連する理屈があるからそれを常に考えろとよく言われる。なぜそこまで徹底しているのかというと「下手に倒したら人力では搬出ができない」ものを機械が入りにくいところで作業しているからというのが大きいのだろうし、やはり至らないのは死を招くというのも大きい。かといって怖がって慎重になってばかりでは進まない。そこで理屈なのだろう。絶対は無いにしても、起こっている事とか話には支点・力点・作用点みたいなものがあるわけなのだからそういうのを考えるという事なのだ。物事を疑うのではなく理屈、入力と出力の関係。これは伐木の際にとても大切な事なのだ。

 

 
楽して仕事をするということは雰囲気としてズルにも聞こえるが段取り10割が生む徹底した哲学でもある。これは山に限らず平地でもいえる事でもある。これにさらに思考の種を埋め込んだものがマウンティンビーになる。真っすぐな丸太を植物から切り出す事で歩留まりは悪くなる。そもそも4mの丸太を搬出するのにロスがある。ちょうどいい椅子が作れそうな樹木を伐採するところから、グリーンウッドでやってみる事で搬出にもロスがない。小説家が自身の書籍をデジタル化して直接顧客に本を売るみたいな感じで伐採者がそこで伐採した材木で作って売るという事になる。なんとも冒険性の高い話になるのだが、新時代のマナーについての試行錯誤なのだからその辺は笑って頂きたい。このプランを聞いたツネさんは失敗してみろと笑ってた。

 

 

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